スポンサーサイト

2017.08.27 Sunday
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    category:- | by:スポンサードリンク | - | - | -

    俺は「異邦人」だ。

    2013.08.21 Wednesday 12:56
    0

      (この記事は、2006年3月4日に最初のアップロードをしました)

      私が若い頃にはまった本です。 青春時代に20回以上読みました。

      その1、
       ・・・・「異邦人」・・・カミュ(社会の常識に挑戦)

      その2、 ・・・・・「竜馬が行く」・・・・司馬遼太郎 (私利私欲がなく、
                                                     組織に頼らない雄大な夢に命を賭けた)


      その3・・・・・・・「老人と海」・・・・ヘミングウエイ(信じたことの追求で結果は、
                 事実が全て語る)=「他人の批評に惑わされるな」


      「高岡の遺言」

      16年続けたアフリカの太鼓。
      (小田急「本厚木駅北口駅頭)

      <span style=
      深夜もひとり太鼓をたたく。
      夜中の一時まで頑張った時もあった。

      世界一のばかか??


      おてんきおてんきおてんきおてんきおてんきおてんき

      ■ひと呼んで「狂った、頭の変なおじさん。バカに徹するおじさんだ」■

      下の写真は「やけどのオドちゃんを救え!」モンゴルから日本に引き取り、皮膚の移植をするため、資金、700万円を募金中。
      小田急線「本厚木駅北口広場」にて。(2007.6.23.)




      俺は、子ども時から、他人に、「よしすけはばかだ、きちがいだ、貧乏人だ、努力してもだめだ」と言われたが、俺は、まったく、そんなこと、気にかけなかった。

      他人の口をテープでふさぎ「だまれ!」はできない。
      他人には、自由に言わせておけば、そのうちに疲れて黙るよ。

      「自分を信じて、後悔しない」ときめたら、「万人が反対しても、正面突破で進む」だ。
      俺は、ただ今、「一生を青春で駆け抜ける」を実践中だ。


      ************************************************************************

      駅頭でアフリカのタイコを叩いて10年だ
      深夜1時まで一人で実施したこともある.
      2006年10月現在、地元のタクシー会社で
      パートタイマー運転手をして丸3年だ。



      おにぎりを食べ、短パンにサンダルと麦わらぼうし、「いなかのおじさんスタイル」で、
      世界の世直しに取り組んでいる、クレイジーなおじさんだ。



      48歳のときに、会社勤めの傍ら子ども対象のNGOを創立した。
      仕事は37歳から63歳である。
      この期間は「辛抱」で、俺にとっては長かった。
      俺は「人生=仕事」はいやだ。

      「仕事人間=会社人間」はいやだよ。
      過ぎ去った時間は二度とやってこない。

      俺にとっては、仕事は人生を楽しむ手段だ。





      「一生を青春で駆け抜ける、自分の信じたこと
      に邁進するばかなおじさん」だ。

      人は一生の間に何が出来るだろうか?


      (いろんなことをしています)

      *********************************************

      (2007.5.31.更新)

      2007.3.22.からモンゴルのスラム街に住んで、毎日子どもの歓声に囲まれている。

      無報酬のボランテイアだ
       
      「俺はこんなに幸せでいいのだろうか?」  


      (モンゴルのゲル地区にて)

      これからは、
      現地法人(支部)の代表を勤める。
      無職の母親にも仕事をつくろう。
      汗を流して得る収入で自分の子どもを育てもらいたい。


      貧しい子どもたちに夢を持ってもらう「象を北京から借りよう。ウランバートルに連れてこよう。」も面白いぞ。

      おてんきおてんきおてんきおてんきおてんきおてんき


      「やけどのオドちゃんを救え!」も取り組んでいます。
      私は、悲劇を目撃したら、逃げてゆけないのです。


      オドちゃんはこちらにも。 


      ラブラブラブラブラブラブラブラブラブ

      高岡 良助(TAKAOKA Yoshisuke)はこんな人です。

      好きな作家は、太宰治、カミュ、ヘミングウエイ、アレキサンダー・ポープ、
      ジョナサン・シフト

      好きな音楽は、ラテン(特に中南米)と演歌

      好きな楽器は、アフリカの太鼓、ラテン・ギター
      好きな映画監督は、黒澤明、スピルバーグ、スコセッシ、
                                 オリバー・ストン


      高知県四万十市(旧中村市)中筋村出身。
      1943年生まれ。10人兄弟の6人目。小・中学校のテストはゼロ点で宿題をしたことがなかった。ダメな少年時代をすごす。この時代「アフリカでターザンになりたい」夢があった( 結局これに生きることになったが。現在の悪は、貧困、民族・人種間の紛争など)生家が貧乏なため中学校卒業後は、家業の農業と日雇いをした。
      小学校1−2年生当時は、わらじをはき、教科書はふろしきに包んで学校に行った。


      この経験が現在の「後進国の児童支援」に役立っている。
      何がどこで役立つかわかならいものだ。

      父に、「高校に行けなくとも、新聞は毎日読むことだ」と言われたが、勉強していなかったので漢字がわからなかった。やっぱり、人は勉強しないといけないのか?


      「新聞を毎日読むこと」が63歳の今、非常に役立っている。
      親とはありがたいものだ。


      仲間は制服で高校に通っているのに、オレはクワとカマ持って、牛で田んぼを耕す、雨の中で稲わらで作った蓑と、毎日の泥んこの百姓はいやだ。くそ、面白くない。

      俺には、もっと大きな、世界的な夢があるのだ。
      今は、我慢だ。
      俺には、小中学生3人の兄弟と、老いぼれた両親がいるのだ。
      中学の仲間がバスに乗っているとき、おれは、日雇いで、ぼろ服を着て、スコップヲもって、泥んこになり、砂利の国道の、
      修繕工事人だよ。俺はバスが来るたびに、高校の通学の、
      彼らに見られないようにあわてて、野の影に隠れた。
      この体験がその後の俺に多大の影響をあたえた。
      「くそ、今に見ておれ。」


      ジョギング  ジョギング  ジョギング  ジョギング  ジョギング  ジョギング  

      この頃、夜間の高校に入る。片道12KM、自転車通学。18歳で航空自衛隊に入った。 土佐には仕事がなかった。青森県三沢市の定時制高校に編入。結局26歳で中村高校(再度転校)卒業。3周遅れの青春だった。25歳夏、四万十川から北海道の根室まで自転車で行った。野宿だ。

      「少年は荒野を目指す。」

      俺は、不安を抱きながら、未知の世界を目指した。
      この当時は「2度と日本の土は踏めないだろう」だった。


      1969年2月末、テントと飯盒とギターを持って日本を脱出した。神戸港ー横浜港から移民船で一路アメリカへ向かった。当時は帰国の望みがない、無謀な旅だった。





      この写真は「一人、ヒマラヤ500KMを行く」(1973)

      25-29歳の間(1969年2月から1973年7月の間、4年4ケ月)、世界83ケ国(この当時国連加盟国は140であった。その後方訪れた国を加えると100ケ国を旅する)、アラスカからチリ、ノルエーからアンゴラ、フィンランドからインドネシアをヒッチハイク(飛行機、軍艦含む)する。


      (持ち物全て、パスポートも盗難にあった。エクアドルの新聞記事。1969年。アラスカから南米のチリに向かっていた。ポケットの240円が全財産になった。ま、「地球から落ちることはないだろう。」
      度胸が据わった。
      怖いものが無くなった。




      高速道路の中央分離帯の植え込み、道路にうめている排水用土管(直径50-60CM,足から入って「気を付けの姿勢」で寝る。もちろん、中で向きの変更は無理、顔のすぐ上、1メートルは一晩中、轟音と振動のトラックだ。

      廃車、留置場、兵舎、岩の下、山中等で寝る。未知の土地で、未知の人から、行きずりの親切を受け涙を流した。


      (アフリカのビクトリアの滝。1972年。ノルエーからケープタウンへ)


      「ありがとう。いつかは、かならず、この恩貸しをするぜよ。」
      スボンは体の中身が丸見え、最盛期(?)55ケ所の繕いで着ているものはボロボロ、さながら「国際乞食」、しかし「心は錦」だった。


      ********************************




      バンクーバーではごみ箱からバーベキュのかけらを食べ、アルゼンチンでは一日50円の生活。ロンドンとローマでは冬の鉄道駅にダンボールを敷いて寝た。オレは外人ホームレスの草分けだった。ストックホルムでは飯のため街頭でギター弾いた。「芸は身を助ける」だ。スペインではホームレス支援の食事の列へ並んだ。
       ま、「まさか、地球から落ちる事はないだろう。」



      (エジプトのルックスオールにて。古代遺跡が多い。夏は暑かった)



      ****************************************

      旅から帰国したら「人は体験と知識の両方が必要だ」を痛切に感じた。
      体験だけではいけない。 知識だけでもだめだ。



      1974-78年の4年間、上記を理論づける為、アメリカのマサチューセッツ州立大Regional Studies(人間と環境。地域学)学部に入学、そして卒業した。当時の日本の大学にはこの学科は無かった。教科書を全部英語にしたのだ。

      夜はボストンの街のタクシー運転手。中年の貧乏学生だった。街灯の下に車を止め、無線の仕事呼び出しを待ちながら、宿題をした思い出がある。眠かった。 結局、16歳から衣食住と教育を自分で片づけた。高校を26歳で卒業して、大学は30歳で入学して34歳で卒業した。
      同級生の4(?)周遅れだ。


      しかし「人生に回り道は無い」のだ。必要なのは、夢を大きく持ち続けることだ。
      俺は棺おけに入るときに他者に大きく差をつければよいのだ。
      その、途中はどうでもよいのだ。


      「何もしなければ何の苦労もないが、無感動の一生になる。そんなのオレは嫌だ」を実行した。燃えた青春だ。

      ***********************************

      「人生は芸術である」、「思想は行動で表現だ。」 その後、シベリア、韓国、中国を訪問した。凍土に眠る旧日本兵捕虜の墓、日本の憲兵からのがれ山
      中の生活、同じく親戚が日本兵に殺された人々に会った。泣けた。憲兵につかまると日本に送られて、炭坑などで、食料も十分に与えられず、労役につかされたのだ。


      「チクショウ、これはなんとかせねばならない、何もしないと今を生きる人間とし悔しい。」 この悲劇をなくするのには子どもの時からお互いを尊敬しなければいけない。

      1991年、わずか数人で「
      国際交流は子どもの時から・アジアの会」を結成した。現在では、会の協力者は国内外で数千人、参加児童はこれまでの15回で地元を含め延べ16,000人だ。この現実の数字の重さ。数字は誰も否定できないのだ。

      無経験の学者の批評ではこんな結果は出てこないのだ。

      他人が行うことを批評するだけの人、願望を述べるだけの人には、数字の示す重さがわからない。

      子どもの時から「人間は同じを体験する交流」はこれまで、日本をはじめ、台湾、韓国、モンゴル、中国でも実施した。アジア児童の教育支援など2007年3月現在、42回(5億円相当、 350余トン)を実施した。アジア児童の受益者は約23万人に達する。シベリアの児童福祉施設(支援物の60%はシベリア向け)の継続支援は日本で当会が唯一だ。支援物資の集荷、梱包作業等で日本の小・中・高校生数万人が参加してくれた。

      北朝鮮の飢餓幼児にも現地まで出かけこれまで、3回食料を配布した。子どもに罪は無い。政治体制は違っても、助けを求めているどこであれ、子どもは救うべきだ。

      2007.5.現在、「アジアの会」はモンゴルの貧しい、主に母子家庭の児童120名に資金援助して通学させている。日本の里親が毎月の仕送りだ。へたな教育批評より、このような小さな行動が説得力がある。

      子どもは生まれてくる親、国を選べない。また、パレスチナ難民児童に文具9トン(鉛筆だけで400万本)の教育支援も行った。 5万人の児童に配布できるだろう。


      (この写真はパレスチナ難民キャンプの学校に配布している文具。)
      パレスチナ

      ****************************************
      (8年間実施した活動)
      「会」は毎年11-2月の間、毎週、厚木市内のホームレス60人に対して、継続的に食事、市販の薬、衣類などの提供もしてきた。新宿、上野のホームレス支援も時々実施している。「弱い者」に慈しみの心を持って「共に生きる」を実践するのだ。行政に頼るのでなく、下駄履きの俺達にも出来ることがあるのだ。皆で、「あいつら、汚い、死ね」では困る。彼らにも味方が必要なのだ。2006.10.現在終了。


      戦争で失った不信を取り戻すには、 根気とお互いの理解が必要である。もう、戦争の悲劇はごめんだ。 平和は他人が築くのでなく、自分達が築くのだ。「会」の活動はマスコミによって日本国内外でこれまで130回以上人々に紹介された。「8-11歳のハンデイのある子も含む」、「対立する民族の子どもも含む」は斬新だ。2002年8月22日には、NHKの「クローズアップ現代」(19:30-19:55時、25分番組)でも全国に紹介された。


      (2002年夏、横浜市港南区の小学校にて)
      2002年
      「争いはやめよう!」
      パレスチナ、イスラエル、サハリン(コリア系)、ウラン・ウデ(シベリアの中央。モンゴル系)、ロシア、中国、韓国、モンゴル、台湾の子どもたち70人が日本の子ども含め、「みんな、仲間だ、集まれ!」


      朝鮮半島の軍事境界線の「板門店」の広場を借りて、「アジアの子どもが一日、アリラン」を歌い、踊る祭りを開きたい。韓国の関係者に説明会を開いたら、皆さん、びっくり仰天した。この馬鹿な俺は、北朝鮮まで出かけ担当者を口説いた。だめだった。「イルボン(日本)きちがい」だ。 だが、もう、鉄砲を向け合うのは止そう。銃口に花を差し込むのだ。

      (俺は、北朝鮮のサリオン市保育所にて、5−6歳の痩せている子どもに、涙を流した。この子達に罪はないよ。

      子どもは、生まれる国、親を選べないのだ)


      1995年、おれは、ヒマラヤ山脈の、マナスルの奥、標高6,000Mの植物不毛のムスタンで、世界の若者を集め「貧しい子どもに教育の機会を与えよう」の音楽会を開きたく、現地まで下見に行った。ネパールの軍隊と教育省の担当者に「ピアノを軍のヘリコプターで運んでほしい」と要請したら、「おまえの頭はまともか?」と言われた。

      おれは、やっぱり、ばかなのか?

      この世の中に、利口なひとばっかりだったら、息苦しくなると思うよ。


      俺たちの会は、世界的に前例がなかった、親や親戚を相手に殺されたパレスチナとイスラエル子どもを「アジアの子ども交流」に招待して合流させたのだ。血を流し合っている民族が、日本で仲良く手をつないだのだ。子どもが仲良くなれば大人も仲良くなれるのだ。もう、血を流すのは止めよう。


      2002年キャンプ。パレスチナ&イスラエルのこども遺族

      2002年夏のキャンプ神奈川県立愛川ふれあいの村にて。
      遺族のパレスチナ&イスラエルの子ども達。
      故郷の争いを防ごう。
      世界でも前例がない。中央は高岡のおじさん。
      この夏の交流は2002年8月22日の「NHKクローズアップ現代」で日本全国に
      紹介された。


      *****************************************

      息子の自転車で、LAからNYCを目指した。56日かけ、5,700KMを走破した。体重は11KGS減量だ。野宿で汗、あか、ほこり、「60歳のばかおじさん」の目的は、「アメリカ軍の誤爆で親族を失ったアフガンのこどもたちをNYCのグランド・ゼロに招待して、2001.9.11.のテロで親族を失ったアメリカのこどもたちと融和と友好の会を開こう」だった。金は集まらなかった。 アフガンの子どもたちは日本から帰国した。いつかは再チャレンジだ。
      この写真は、息子の自転車で、アリゾナ北部にて。日焼けで皮膚がぼろぼろになった。
      「ドン・キ・ホーテ」か?




      おれは、ばかか??


      この写真は、2003年5月、USAのアリゾナだ。

      2003年夏にはアメリカの誤爆で親族を殺されたアフガンの子どもも交流に合流させた。俺達は先覚者、開拓者だ。「国が悪い、学校が悪い、親が悪い、社会が悪い」と他人を批判することだけでは何も解決できない。 「現状を認め、では、自分には何が出来るか?」の生き方である。 
      「社会を変えるのは他人でなく、自分だ」と、皆が信じることだ。


      人の一生に何が出来るかの挑戦である。俺は生まれてきたことを自分の利益、自分の欲望だけに生きる人は尊敬出来ない。 学歴があって、大金持になって、おいしい物を一杯食べて、美女・美男に恵まれた環境で本当の幸せがやって来ますか?



      *****************************************

      「何もしていない(仕事と自分の家庭と何らかの趣味のみ)」人が見たら、「なんとばかな事をしているのだ」と思うだろう。 休日は小田急「本厚木駅前広場」でアフリカの太鼓をたたく変なおじさん。資金集めと会のPRの為だ。募金箱に最低の日はわずか75円。200円くらいの日が多いが全く気にしない。 問題は金額でなく「情熱と勇気」があるかどうかだ。

      2006.10.現在、累計で約7,000万円集まった。子どもの笑顔のために消えたが、未来への投資である。トマホーク一発が1億4千万円と比べたら、安いよ。


      深夜の1時まで太鼓をたたいたことがある。周囲はデパートと事務所、飲食店だけなので「騒音」にはならない。ラジカセの音楽はルンバ、マンボ、サンバだ。手製のマラカスを足で演奏し、手首には鈴をつけ、ま、「変なおじさんだ。」 酔っ払いが音楽と太鼓に合わせ、街灯の下で踊るだ。この「駅頭募金・PR」は当初、小学生の娘と幼稚園児だった息子が参加してくれ、「変な親子」は市内の名物になった。 娘と息子に感謝。


      1992年。会の発足当時の街頭募金風景。銀座、渋谷、新宿、上野で、子どもや音楽グループの応援ももらった。 渋谷では2時間で2万円も集まった。こどもたちはえらかった。

      2004年の夏の二泊三日の、「ピース・キャンプ」には、ついに障害のある12歳以下の子どもたちが20名が参加した。そして2005年のキャンプには25名が参加した。この「生きていることを共に楽しむ」に取り組んで10余年、長かった。

      国や民族、住んでいる環境、また、身体が思うように動かない子も、「子どもは等しく輝く夢を持っている」のだ。今を生きる大人は、その子らの夢が実現できるよう力を添えて上げるべきだ。 「うちの子も、よその子も同じ」なのだ。
      現実に正面から向かい合ってから、本当の問題解決と前進があるのだ。


      いろんな国の、いろんな子どもたちが、生活を共にすることで、違いを認め合うことになる。争いや、差別もなくなり、やさしさが芽生えて、いじめもなくなる。

      俺たちは、日本で唯一のこんな面白いキャンプにこの子どもたちの受け入れ団体でもある。学生ボランテイアも、健常児童、アジアからの子どもたちも、みんなが「受益者」なのだ。


      成熟した社会を作るのを他人任せにするのは止そう。
      行動をしない批評は止そう。子どもたちにも「体験学習」が必要なのだ。

      オレは自分を安全な所に置いて他人の行いを批評するだけの生き方は大嫌いだ。俺は他人と同じ生き方はしない。「世界63億人のたった1人だけの人生」を歩むのだ。「自由に生きることはリスクを恐れない」ことだ。 俺はばかか? 


      オレは酔っ払った時だけ威勢の良い、法螺吹きで一生を終わりたくない。今の俺に取っての冒険とは、恵まれない人々、子ども達と「生きていることを共に楽しむこと」だ。 そして、 心身とも自分がその人々にどのくらい尽くせるかに挑戦することだ。この冒険はおもしろい。 生きている実感がする。他人と共に生きていることを楽しむことは俺の冒険だ。

      ****************************************************


      2006年夏には80日間の「モンゴル3,000KM馬で横断」を計画している。問題を抱えている小学4年生ー中学2年生20人が、自然の楽しさ、厳しさから人生の「生きている感動」を体験するのだ。日本と世界のこどもたちに夢と感動と勇気を届けるのだ。直接の目的は「がんばれモンゴル基金」創設である。 貧しいモンゴルのこどもの救援活動費用の資金集めである。






      mongolia

      ここに本文を記入してください。
      荷物を載せた馬車が砂で動けなくなった。
      暑い、きつい、毎日、地平線の彼方をめざした。


      帰国報告はこちらへ

      帰国後の姿。

      モンゴルから帰国した高岡の姿
      中学2年生の二人は偉かった。
      世界的な大冒険になった。
      出発前の人々は、「危ないやめろ。殺される」の大合唱だった。


      ****************************************************
      俺は、世界の片隅である神奈川の厚木の山に住んでいるが、絶えず世界状況を憂いてい変なおじさんだ。 しかし、世界の政治家や、大金持や、大先生に出来ない事に情熱を持ち続けている誇りを持っている。世界の中の一地方に住んで、世界各地の争いで、犠牲になる罪のない子どもたちに、毎日心を痛めている。

      オレは思う。

      人生で一番の悲劇は、「安全第1でリスクを回避し、何にも挑戦しない」ことだ。


      「何もしないことが一番」の人には、「人生の足跡」は残らない。死後3年もすれば完全にそのひとのことは、世間から消え去る。
      自由に生きる為にはリスク(失敗するかも知れない懸念)に挑戦するとだ。オレは「リスクを恐れる、足跡を残さない」悲劇の主人公にはなりたくない。


      この頃は60歳前後、定年退職者、仕事一筋で生きて来た人々から「話を聞いてくれ」と電話がくる。「振り向けば、足跡のない」人々だ。

      その人々は「最近、隙間風が身体を吹き抜ける」と訴える。俺はそんな泣き言を聞きたくない。 その人々はなぜ思いっきり生きてこなかったのか? あの世の入り口で「あれもしたかった、これもすれば良かった」の後悔の弁は聞きたくない。


      「過ぎ去った時間は取り返し不可能」のだ。その現実を早く知ることだ。オレは願望や他人の批評だけで生きたくない。

      願望や批評より実行だ。
      もう、言葉だけの世界とはおさらばだ。


      あなたは、知っていますか? この事実を。

      死の床で垂れ流しの生活になって100万回の後悔をしても無駄だ。 人生はたったの一回限りの天から与えられた機会だ。 「この世は酒と女とばくち、あの世で頑張る」 は通用しないだ。人は誰でも生まれてから、あの世に行く競争の中に放り出されるのだ。 遅かれ早かれあなたもオレもこの世から朝露のごとく消えるのだ。


      オレは将来、アフガニスタンの高原で難民児童に「ボランテイア研修所」を開き、世界の若者を集め鍛え,勉強してもらい、世界中に帰って、援助の必要な子どもたちの支援をするのだ。
      「ロバの背中で世界の仲間と電子メール交換」だ。オレは一生を青春で駆け抜け抜けたい。オレは、青春の火を燃やして、燃え尽きて、きれいさっぱり人生を終わりたい。神様から2度目の人生を与えられても、「同じように頑張れない」だ。
      (アフガン行きはモンゴルに変更した)


      ジョギングジョギングジョギングジョギングジョギング

      (2004年12月19日 記入)
      本日は、年末の雑踏の日曜日。午後は、人口23万人の中心部で「夜間反射テープで作った星空一杯子どもの笑顔の車」だ。

      「証城寺の狸囃子」の曲を拡声器から流して、街中をPRしてきた。
      街宣車は15年間続けた。
      成田で警察官に「空港では、拡声器を禁止しているから、
      進入禁止です」だった。

      童謡を流していたら、
      麻布のロシア大使館そばでは右翼と間違われた。



      小学2年生の女の子が「興味がある」とのことで、PR小冊を3部上げた。そばで若ママが恥ずかしそうだった。それにしても、62歳になろうとしている、おじさんが、「情熱一筋」で頑張っているなんて、ま、世の中には、「理解に苦しむ」人もいるだろう。馬鹿か???

      嬉しい  楽しい  悲しい  


      (1971年ノルエーから南アフリカの旅の途中で立ち寄ったトルコのイスタンブールにて。
      背景はイスタンブール大学。サハラ砂漠,コンゴ河の往復になった。アフリカでも野宿の1年間だった)


      ジョギングジョギングジョギング

      歩きました。歩きました。315KM。
      2005年12月23日から2006年1月4日の13日間。
      神奈川県厚木から、JR名古屋駅まで、野宿だ。
      国道246と1号を、西に向かった。


      歩く&歩く62歳

      背中は冬用に荷物が多く、重かった。
      マイナス5度Cの田んぼの畔やら、山の中やら、お寺の物置やらです。
      とにかく、子どものころから東海道を歩きたかった。


      帰りは新幹線と電車でわずか3時間半だった。おれは、ばかか??


      *****************************



      ************************************************************************


      2008年夏の夢だ

      「ザーン・プロジェクト」(ザーンはモンゴル語で象)
      2008年夏は「生きた象をモンゴルの首都、ウランバートルに一ヶ月連れてきて、こどもたちに無料開放だ。」
      俺はこどもの目が輝くのを見たい。子どもたちは「象を見たい」だ。

      詳細はこちらへ。




      今後の生き方(2007.6.)

      ****************************************




      人生の旅路で,

      人生の旅路であなたの行き先は何処ですか
      (高岡の独り言 )

      幸せは、何ですか?


      幸せは、何処ですか?

      幸せは、誰がくれるのですか?

      私は、幸せを自分で見つける。


      私は、自分の死後自分に何を残せるかを考える。

      私は、自分の死後の社会に何を残せるかを考える。

      私は、今を生きていた証を何の手段で表現する
      のかを考える。

      私は、「何の為に生きるのか?」を考える。


      私は、 人生を「生きていることを共に楽しむ」
      の追求だ。

      私は、 普遍的な「人間愛」の追求を「生きる目的」
      にする。

      私も、死んでゆく時、骨になり、やがて土になる。


      私の、 物質は時間と共に腐ってゆく。

      私は、 思う。 人間愛は形が無いが永遠だ。

      私は、 思う。自分が大事にした物資は死後数年で
      人々から忘れられる運命だ。


      私の、「人間愛」は無形だが永遠に残る。

      私が、始めた事業で次代を背負う子ども達数万人
      に笑顔が届く。

      私は、そのさざ波を作る仕掛け人だ。


      私は、その子ども達の笑顔が生きる目的だ。

      私は、信じる。この子ども達はもっと良い時代を
      築いてくれるだろう。

      私は、「生まれてきて良かった。楽しかった。あばよ」
      と一生を終わりたい。
      「人間万歳」だ。地球に生まれて良かった。


      あなたは、水と空気を抱き、宇宙に漂うこの地球、緑
      の星に生まれ、何を考えますか?

      あなたは、生きている間に何をして、何を表現して、
      死後に、誰に何を残します?


      あなたは、太陽と青い空、緑の山と草原と里山、流れる
      川と広い海で泳ぐ魚、動物と大空を飛ぶ鳥、
      友人の出会いもある人生だ。

      あなたは、家族と兄弟姉妹に囲まれているのだ。


      あなたは、あなた自身の人生のドラマのシナリオを書
      くのだ。

      あなたは、演出も、演技するするのもあなた自身だ。
      人生は、自分が主役を演じるドラマだ。
      舞台は揃った。

      あなたは、このドラマを演じて、

      「何を主張」しますか?

      あなたは、そのドラマが終わる時、観客に暖かい人間愛
      の余韻を残すことが出来ますか? 人は生まれ、
      やがて死んでゆく運命だ。


      私もあなたも、

      そして今を生きている人全部だ。。。。 

      そして、 この文章を読んでいるあなた、

      あなたは、 あなた自身と社会に何を残せますか?


      あなたは、自分と、自分の子どもと、あなたと直接
      のつながりの無い子ども達を、

      あなたが自分の子どもを見つめる温かい目で、垢と汗
      を埃と悪臭を放つ、親のいない路上の子ども達
      を愛する事が出来ますか?

      あなたは、その子ども達を愛しいと思いませんか??


      あなたは、命懸けで何に挑戦しますか?

      あなたの死後わずか数年で人々から完全に忘れる事に、

      あなたの人生の全てをかけますか?それとも、
      不滅なこと、人間愛の追求に挑戦しますか?


      あなたは、あなたの生きた証を何に求めますか?

      あなたは、何を獲得するのでなく、何を捨てますか?

      あなたは、最後に残った何に人生の全てをささげますか?

      あなたには、目を輝かす夢中になるものがありますか?
      それは、


      あなたの生きた証になりますか?

      あなたは、国や民族が違っても、時代が違っても、

      あなたは、未知の人々から尊敬される普遍的な事を
      実行していますか?

      あなたは、自分の職場の、小さな世界で出世する

      ことが生きがいですか?

      あなたが、その世界で何様になろうが、他人は何の
      興味を示さないのを、あなたは知っていますか?

      あなたは、あなたが活躍できるもっと広い世界が
      あるのを知っていますか?


      遅かれ、早かれ、やがて土になるあなた、植物や、
      動物や、他の生き物と同じ運命をたどるあなた、

      あなたは、人生の感動について真剣に考えたこと
      がありますか? 
      感動は、苦しみの反比例ではないですか?

      あなたは、自分の可能性に挑戦する勇気を
      持っていますか? 


      あなたは、
      列の先頭で、旗を高く掲げることが出来ますか?

      あなたは、生まれてから、死ぬまで、
      誰かの後を「トボ、トボ」歩く、

      そして、最後は、不平&不満な言葉で終わる、

      情けないよ。


      あなた、

      迷えるあなた、

      あなたは、 今幸せですか?


      あなたは、人生の終わりで、
      「私の人生は、何だった?」はよそう。

      あなたは、今、人生の旅路で何処に向かって
      歩いていますか ?

      あなたは、人生の終わりの床で、過去を振り返り、
      「自分の歩んだ道は、夢がある、壮大なドラマだった」と納得できますか?


      あなたは、あの世の入り口で、若者に、
      「自分の過去は、未来の若者に魅力だった」と、
      考えたことがありますか?


      あなたは、"Only one in the world" になれますか?



      あなたは、「人生の旅路」で、
      どこに向かっていますか?

      (古いブログですが、読んでいただき、ありがとうございました。 2017.1.3.)

       

      HPはこちらへ

       


       

      category:一生を青春で駆け抜ける | by:へんなおじさん | - | - | -

      スポンサーサイト

      2017.08.27 Sunday 12:56
      0
        category:- | by:スポンサードリンク | - | - | -
        | This Page |

        PR
        Calender
           1234
        567891011
        12131415161718
        19202122232425
        2627282930  
        << November 2017 >>
        Selected entry
        Category
        Archives
        Recommend
        Link
        Profile
        Search
        Others
        Mobile
        qrcode
        Powered
        無料ブログ作成サービス JUGEM